あちゃの

個人用メモが、ベースになりそうです。模索中。

2014年3月_新婚旅行12日間の旅(イグアスの滝・マチュピチュ・ウユニ塩湖等)

1.  新婚旅行を振り返る

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おもむろに、2014年3月新婚旅行12日間の旅(イグアスの滝・マチュピチュ・ウユニ塩湖等)を振り返ります。

現在コロナウイルスが蔓延しており、海外旅行になかなか行けない状況ではありますが、ワクチン接種も盛んになりつつあり、数年以内には海外旅行も可能になることを祈っています。海外旅行が可能になれば、我々は海外旅行が好きですし、まだまだ訪れたいところもあるので、今後の妄想は尽きることはありません。

とはいえ、今は既に2児の親としては当時のような比較的弾丸ツアーにも耐えられる元気・若さは無くなり(現実的に実施するのはだいぶ困難な気がしている)、思想の変化によりリゾートを求めつつあります。

しかしながら、今でも印象に残っている旅行といえばやはり新婚旅行ですね。当時の写真は今でも見返すし、個人的に最も印象的な旅行は新婚旅行です。

このブログにて、当時の旅行の思い出をいつかは纏めておきたいなと思っていたので、すでにだいぶ薄れつつありますが幾つかの記憶を残しておき、後に自分が楽しむため、もしかしたら誰かに役立つ情報・楽しんで貰えたらと思いここに記します。

2. 日程表

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1日目:日本→ダラス・フォートワース
2日目:サンパウロ→イグアス
3日目:イグアス(アルゼンチン側→ブラジル側→ブラジル側)→リマ
4日目:リマ→クスコ
5日目:クスコ→ワンチャック→パチャール
    →マチュピチュ村→マチュピチュ
6日目:マチュピチュマチュピチュ村→オリャンタイタンポ→クスコ
7日目:クスコ→ラパス
8日目:ラパス→ウユニ
9日目:ウユニ→ウユニ
10日目:ラパス→サンタクルス→ダラス
11日目:ダラス→日本
12日目:日本

振り返ると記憶が蘇りますね。ワクワクもし、とにかく移動しっぱなしで疲れたのが思い出されます。

3. 日本→ダラス→サンパウロ→イグアス

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日本から一番遠い空港と認識していたサンパウロにたどり着くのはとてもワクワクしましたね。それにしても、移動慣れというのを実体験しましたね。

行きは、日本からダラスに到着するまでは、確か12時間のフライトでむちゃくちゃ長く感じました。そのまますぐさまトランジットで、ダラスからサンパウロへのフライトは確か10時間。しかも、ダラスでサンパウロ行きのフライトが数時間遅れ、出落ち感・この新婚旅行はすべての目的地を堪能できるのか不安を感じました。人間慣れるもので、その後のフライト10時間以内だと疲れも相まって寝る技術も身につけ?あっとゆう間に到着したなぁと感じるくらいになり、帰りのフライトについては感覚的には搭乗時間は数時間って感じ。それは言い過ぎか。

ひとまず、ダラスにした際に、帰りの11日目のダラスではひとまず一泊する予定だったので、テキサス在住の学生時代の友人とiMessageでやりとりし、時間があったら会えたら会おうぜーってやり取りしたのは記憶があります。 

サンパウロへの到着が近くなるにつれ町並みを飛行機から見下ろしつつ、なんとも言えない高揚感もありました。こんな遠くまで来れるもんだんぁなんて。空港に足を踏み込んだ瞬間・匂い雰囲気を感じ未だ何もしてないのに既にこの新婚旅行の第一章成功に終わるみたいに気分にもなった。そんな気分の高まりも束の間、ダラスでのトランジットではフライトが遅れたこともあり中2時間くらいでスーツケースを一旦受け取り次のフライトに向かわなければならないという状況でした。全く荷物が届かない。同じフライトの人たちはすべてスーツケースを受け取りどこかに捌け、めっちゃ不安・アタフタ・次のフライトに間に合うの??って感じになりました。我々の英語・ブラジル人の英語が噛み合ってる手応えが無いなりに、必死に空港の職員?にも取り合ってもらえたのかわからないが次のフライト出発直前の時間になりどうするねんって思いつつ、ようやくスーツケースを入手してもらった。すぐさま次のフライトに向けcheckinすべく走り回ったような記憶があります。誰かに訴えかけたら列を抜かせてもらってcheckinすると、次のサンパウロ→イグアス行きもがっつり遅れてる。間に合った。このへんで心に余裕が生まれ、ブラジル人いっぱいいるなぁなんて感慨深くなりましたね。あと、ブラジル人は国旗が入った帽子を身に着けている人が多くいて愛国心あるなぁなんて思ったり、asicsを履いてる人が多いなぁなんて印象を受けた。

4. イグアス→ホテル 

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イグアスに到着すると、間もなく日系のガイドの方と合流。地球の反対側で普通に日本語が使えるのってすごく安心できた。

とても親切な方でお母さんのような方で、空港からホテルに向かう最中もずっと何かの話をしましたね。

ホテルはマブテルマス&リゾートホテルに宿泊。ひっさびさのベットで寝れる。ホテルに到着するとチェックインするには早すぎるらしくチェックイン出来ない。ガイドさんが新婚旅行なのにずっとフライトでベットで寝てないのでなんとか部屋に入れさせて上げてと交渉していただき、すぐさまチェックイン出来た。ありがたい。

夜の食事の相談をしてみると、ブラジルのShowを見ながらブラジル料理を堪能できるレストランを紹介していただいた。他にもあったような気もする。

ホテルからのタクシー代・レストラン代も先払いで交渉してくれた気がする。めっちゃ安心。

レストラン:Rafain Churrascaria Show

食事は美味しかったような気もするし、サンバ以外にも中南米各国のダンス?が色々見れて、雰囲気も良くとっても満足度の高い食事ができた。

爆睡。

5. イグアス(主にアルゼンチン側)

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朝食を済まし、いよいよイグアスの滝へ。

まずはアルゼンチンに入国。通りのブロックは緑・黄色でブラジル側から、水色・白のブロックになりアルゼンチンに到着。

イグアスの滝、アルゼンチン側国立公園に入り、まずはトロッコで奥まで移動。

なんとなくポルトガル語からスペイン語が大聞こえてきたなぁって印象

いよいよイグアスの滝へ。「悪魔の喉笛」の入り口から滝の音が近づくにつれ、雲が見える。どうやらこれは滝の飛沫がそのまま雲になっていると説明を受ける。

我々が訪れた日は、2-3日前までの大雨により、水量がいつもの3倍くらいとのこと。激しい洪水じゃないかとも思えた。鉄分を多く含む赤土のようなので赤茶色の水でしたね。とにかく飛沫もすごいし圧倒され、何度も何度も虹が見れ、心躍る一日でした。

社員は載せていないが、マンゴーが美味しかった。

なお、ランチブッフェで多く支払いしてしまったようで、ガイドがさんが差分を取り戻してくださった。何かと親身になってくれたガイドさんありがたい。

以上、午前。

6. イグアス(主にブラジル側)

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午後は、ブラジル側のイグアスの滝へ。道中、私はアルゼンチン側、妻はブラジル側、奥にはパラグアイが映るところで1枚パシャリ。境界線に来ると、行った来たり、境界線上に立ってみたり、なんだか特別な気分になりますね。笑

全体的にブラジル側は全体が見渡せる感じ。アルゼンチン側・ブラジル側どちらの楽しめますし、さすが世界三大瀑布のうちの一つって感じでした。

夕方帰りのフライトまで少し時間が捻出できたこともあり、急遽バード・パークへ。

ブラジルの国鳥・トゥッカーノが間近で見え。カメラの設定で目を話すとクチバシで はよ撮れと言わんばかりつついてきまして、可愛げがありました。しかも、たまたまその場にいた一羽だけでなく、他の箇所にいたトゥッカーノも同じ。ブラジルって感じでしょうか。国民性は正直わかりませんが。笑

その晩のフライトでペルーのリマへ。

7. ペルー(リマ・クスコ)_標高3,360m

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ブラジルからペルーのリマへ。

到着直後、ガイドさんから注意を受ける。リマは犯罪が多く、車にすぐ乗り、リュックは足元に置くこと。社外から荷物があるのが見えると襲われるので注意と言われる。とても緊張感を持ってホテルへ向かいましたね。

また、リマからクスコへのフライトはストライキの影響??だったような記憶をしていて、フライト時間がとても早まり2時間睡眠でホテルを出発。1時間半のフライトも即落ちでクスコに着。ここは標高が3,360m。富士山より高い。マスクをしたままマラソンをしているような息苦しさを受ける。

クスコはスペイン統治時代の町並みが残っていて美しい街並み。スペインに侵略される前のインカ時代に使われていたインカ道も多々ある。12角の石は、隣り合う石と隙間無く組み込まれた有名な石を見ることが出来た。とにかく縦横1mくらいある大きい石。

クスコの中心地アルマス広場、ここはすり鉢状の街が一望できるポイントでした。全体は写っていませんが左上の写真です。

明日マチュピチュへ移動するため、宿泊したホテルはパラシオ・デル・インカ・ラグジュアリーホテル。このホテルは、スペイン統治時代の首相官邸のように使われてい建物とのことで、とてもゴージャス。ウェルカムドリンクには、コカ茶。これが高山病にも効くらしい。なお、のちの私は高山病になりおまじないに何度もこのコカ茶を頂く。

適当に現地のバーガーショップで昼食を過ごし、街を散歩、スタバに入った直後くらいで高山病発症。だんだんきつくなり、ホテルの酸素ボンボでお借りし、ダウン。頭痛・吐き気・下痢。しんどかった。ホテルで休憩。ガイドさんに深呼吸を意識しろというアドバイスをもとに少し症状解消。夕方はガイドさんのもう大丈夫ですよというよくわからない説明をうけ、高台から街を一望できる3,765mの場所へ連れて行かれる。でも確かに呼吸を意識することでなんとか乗り切れた。

8. クスコ→マチュピチュ

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次の日の朝、多少高山病の影響かまだ少し体調が悪い。朝はヨーグルトとコカ茶。あと薬を飲んでさらに回復。妻は特になんとも無し。。

いざマチュピチュへ。ペルーレイルでマチュピチュ村まで2時間の旅。確か、欧米人はシェルパを雇い数日歩く人もいるらしい。なお、徐々にマチュピチュにつれ高度も下がり身と心が楽になる。ガイドの話を聞くと、クスコにいきなりくると高山病になるため、2000mくらいのところにすぐ向かう人は結構いるらしい。我々の旅程ではそのような余裕もなかったし・そのような前情報もなかったな。

9. マチュピチュ

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いざ、マチュピチュ村。マチュピチュ村からマチュピチュまでは、バスで移動。ジグザグのビンガムロードを走る。車酔いはぎりぎりしない距離でしたね。ひとまずランチビュッフェを、標高は2,400m。呼吸法を身に着けた私はもう楽に呼吸できる。

いざ、遺跡の入り口、マチュピチュへ。とにかく不思議な空間。段々畑は昔インカの人が土砂崩れ防止のために作ったそうです。すごく広い遺跡でぐるぐる歩いて1時間半は時間を要したと思う。インカ人の石切方法は、穴を開けて水を入れ一晩置くことで、標高が高く水が凍ることで石が割れるという方法だそうです。現地にはリャマがいる。標高3,000m以上しかアルパカは居ないのでここにいるのはすべてリャマとのこと。

夜はマチュピチュ村へ戻り、ロッジ風のホテルにステイ。ホテル名は、インカテーラ・マチュピチュ・プエブロホテル。

なんだか夜は疲れを癒やしに、ガイドさんオススメのホットストーンを使ったインカマッサージを受けに行ったな。めちゃ気持ちよかった。

翌日は天気も悪かったが、通常の国内ツアーでは申し込めないマチュピチュの山ことワイナピチュへ。雨が少し降っていたいの登山中止かと思われたが、雨がやみ無事スタート。なお、7:00- 200人、10:00- 200人限定の予約必須。体力的には大したことが求められない山でしたが、整備されていない危険すぎる山で年間数名落ちて亡くなるらしい。細心の注意を払った。新婚旅行で死ねないよ。

山頂付近ではある岩の上で写真を取る場所がある。なんだかめちゃ怖くて怖い怖い言っていたら、写真待ちの次の親子のお父さんが手を差し伸べてくれた。今でも鮮明に記憶に残っている。なお写真の背景は、雨・雲により真っ白。実際に登った人でしか意味がない写真となった 笑 山頂では40分粘りようやく晴れ写真をパシャリ。下山も急すぎて梯子を下るように慎重に降りた。おそらく、60前後のアメリカ人おばさんグループは常にハイテンション。よくその年でここまでこれたなととても関心した。

下山後マチュピチュを再度楽しみ、マチュピチュ村へ、ペルーレイルでマチュピチュへ。もう高山病の恐れはなかったが結構体力的な疲労はあったな。

夜はクスコでディナー。クスコのお祝い料理「クイ」インカネズミの丸焼きを頂く。それなりに食べたが、いや、正確にはほぼ頂けなかった。妻が生きこんで注文したのに、全く食べない。なんだか「クイ」に申し訳なくなる。にしても、完全にモルモットの見た目、この度以降、食感が近しい焼き鳥の皮は、食べられなくなった。。

10. ボリビア(ラパス)_空港の標高は4,070m

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いよいよ、私にとって今回の旅の最大の目的地ウユニ塩湖があるボリビアに到着。到着するやいなや、空気が薄い。クスコで高山病にかかった再来か?!と頭によぎったものの意外とクスコで体がなれているようだ。もちろん、呼吸法も身についている。とはいえ、正直歩くだけでかなり息が苦しくなる程だった。ガイドさんから聞いた話だが、サッカーの南米同士で試合では、ボリビアがメッシ率いるアルゼンチンにもホームゲームなら引き分け/勝てるらしい。突然ボリビアに来たアルゼンチン選手は高山病のような症状でまったく動けないらしい。これについてはめちゃくちゃ海外選手は文句を言うんだとか。そんな空気の薄さ、ペルークスコで高山病になったことを伝え少し不安だとガイドに伝えたら高山病の薬をくれた。効果があったかわからないが特に体調不良になることもなく過ごせた。

そういえば、空港から出ると雹が降っていた。こんなことは滅多にないらしい。

ところで、ここのラパスという街は、すり鉢状の街になっている。空港はすり鉢状の縁にあり、底に行くほど高級住宅街になっているらしい。反して、高くなると貧困層だとか。続いてラパスの街の外れにある"月の谷"を観光。宇宙が近い?!からか、空の色が真っ青に感じた。石灰岩が雨風で侵食して出来た地形となっている。外にできた鍾乳洞とでも言うのかな。

ラパスの市内はスペイン統治時代の面影雰囲気たっぷりである。お土産ストリートにも足を運ぶ。とある店には呪いの道具など売っていて”魔女通り"と呼ばれている。確かなにかのミイラがあったような気がする。

よく朝はいよいよ、ウユニ塩湖へ。。ワクワクが止まらない。

11. ウユニ空港近辺

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早朝、いよいよフライト。空から見たウユニ塩湖にはタイヤの跡がいっぱいだ。乾季に入ってたけど、湖にはまだまだ水が残っているところがある。ここに景色が反射して過鏡のようになる。これが見たかったので少し安心した。そう、我々は新月で且つ水面が残る時期を見計らって新婚旅行を計画したのだ。

ウユニに到着すると、とにかく朝日が眩しい。影もとても長い。不思議な空間だ。

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ウユニの街で、まずは朝食を過ごす。食事中ガイドの方から説明を受けたのは、アジア人は水面の反射を求めて、欧米人は乾季の乾いた塩の風景を求めてウユニにくるらしい。なお、過去ははるばる他の街からバスでしか来ることが出来なかったウユニだが、観光が盛んになり空港ができたようだ。ありがたい。

ウユニ市内ので市場でランチのフルーツを買いに。ガイドさんのセンスが良い。

その後ランクルに乗りいよいよ、ウユニ塩湖に向かう。道中、ウユニの塩製造所にも寄ってくれて、袋詰の実演も見学できた。また、列車の墓場にも立ち寄る。昔炭鉄業が盛んだったようで、その後ここに捨てられたのだとか。ウユニ塩湖に向かう途中、リャマ発見。かわいい。

ついに、ウユニ塩湖へ。

12. ウユニ塩湖_その1_日中

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次第に塩と水面が見える。ランクルも錆びて車両が壊れるからゆっくり突入。感動・ワクワクが止まらない。眩しい。サングラス越しでも目が辛い。嬉しい悲鳴。

ランチは誰も居ない。正確には数キロ以内に誰も居ないところでパラソルを広げテーブル・椅子を設置してビールを片手にランチ。最高の気分。ドラゴンボールで見た、精神と時の部屋そのものだ。

何故か食事開始とともに、腹痛でドライバーが街に帰る。食事が終わって・・・なかなか戻ってこないドライバー。再度ここにたどり着けるものなの?大丈夫なんかなと思いつつ、一応戻ってきた。

13. ウユニ塩湖_その2_夕方

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またどこかに走り出す。もはやじぶんがどこにいるのか全くわからない。走りっぱなしでも景色が変わらない。不思議な感じ。

それでも走り続けると塩湖の真ん中にあるインカワシ島に到着。サボテンが生えてる。少し丘になっていて見渡すと、真っ白な風景に、観光客のランクルがずらり。

さらに移動してストップ、塩湖に穴を掘りごっそり塩の結晶を取り出す。自分も手を突っ込んで取り出してみたが、結晶の角が手に刺さり痛い。でも、良い体験出来たし、お土産に結晶を持ち帰り今でも宝物だ。塩分濃度がとても高くて乾くと手が真っ白に。途中国旗がたくさん飾られているとこにも足を運ぶ。ガイドさんが持ち込んだ日本国旗に記念にマジックで我々の名前を書き込む。観光地で名前書きたくなる人の気持ちが少しわかった気がした。

一旦、壁も床も柱もベットも何もかも塩でできたホテルに立ち寄る。今夜泊まるホテルだ。その後、サンセットへ。夕日と水面に映る夕日が美しすぎる。言葉はいらない。日が落ち始めるに連れ、風が強くなり水面が波を打つ。引き上げることにした。ただ、ガイドさんが提案してくれて、改めて翌朝チャレンジとするのを夜中からのツアーとしてくれた。

14. ウユニ塩湖_その3_夜中から朝方

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ホテルにつくと周囲は真っ暗だ。もちろん、新月を狙ったので星が見えるのが期待できる。周囲の光はホテルの光だけ。それにも関わらず、十分空には星が見える。

一眼レフの調光設定を済ませ、夕食を済ませ、早めに寝る。シャワーは塩水でなかったのでさっぱりできた。

目が冷め、準備を済ます。外に出るととても寒い。興奮しているのか、底まで寒さは感じなかった。あるところまで走り出し、停車。車から外に出るとなんと、天の川が肉眼で確認できる。美しい。実に美しい。水面がある方を見ると、水面にも星が反射している。なんていうところだ。思い返すだけでもうっとり。音もしない。静かすぎてここは宇宙なのか、なんて。

徐々に周囲が明るくなり、朝日が水面に反射する。夕日と同じくらい美しい。来て良かった。思い残すことは何もない。

15. ウユニ塩湖_その4_帰り

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ウユニからラパスの帰りの飛行機は初めてのプロペラ機。左右一列ずつ20人乗り、コックピットも丸見えで正面の景色まで見れた。

ラパスに戻り、ボリビアの軽食。「サルテーニャ」ミートパイのようなすごく美味しいものだった。夜ご飯はホテル近くのお店へ。スペイン語しか通じなかったがなんとかなった。

 

帰路、サンタクルス→ダラス(友人と2時間程度再開)→日本へ

 

ほぼ私の主観として記憶を綴ったが、きっと妻も満足していると思う。

以上、我々の新婚旅行でした。